怒り
今朝から失態しました。
やはり最近は精進できていない…というより今日もダメでした。
朝、心に何か考えてはいけないことを考えていました。
「どうせ理解してくれない」と暗い気持ちになって、心が暴走していました。
今日のタイトルはそんな怒りに気持ちが多かったので怒りについて再確認と、反省をしていきたいと思います。
怒りは10種類あります。
①基本的な怒り(ドーサ):暗い気分・嫌な感じ。
②激怒(ヴェーラ):表出せずにはいられないほど高まった怒り。
③怨み(ウパナーハ):妄想によって自己増殖する怒り。
④軽視(マッカ):人のいいところを見ずに欠点を探す。
⑤張り合い(パラーサ):際限なく相手と戦う・つぶす。
⑥嫉妬(イッサー):人と比較し、自分にないものを理不尽に思う。
⑦物惜しみ(マッチャリヤ):自分の楽しみを他人にあげたくない。
⑧反抗心(ドゥッバチャ):かたくなで、人の言葉を聞き入れない。
⑨後悔(クックッチャ):過去の失敗を思い返す。
⑩異常な怒り(ビャーパーダ):原因のない、破壊的な怒り。
以上の10種類で今日は①番でした。
しかし、口に出さなくても、心で怒りの感情が湧いている時点で良くありません。
サティを入れて消さなければいけませんが、今日は慈悲の瞑想で対処しました。
とにかくゆっくり心を込めて瞑想してみるとサッと怒りが消えて落ち着きます。
今夜も慈悲の瞑想フルバージョンと慈経を唱えます。
慈悲の瞑想は元々短気だった私をガラッと変えたすごいものです。
常に蟻でも、鳥でも、目に映る全ての生きとし生けるものに対して幸せと安穏に過ごせるよう
念じています。
明日もしっかり自分の心を観察していきます。
渇愛
Facebookでテーラワーダ仏教協会の記事?に巻頭法話が載っていまして
テーマが「聖者になる道」で最初に渇愛のことが出てきまして、
本日病院に行きつつ思ったことが「渇愛」につながるのでそのことを書きます。
今日は少し気づきが甘いと思いました。
眼耳鼻舌身意の六根と色声香味触法の六境で対象のものを感じて認識しますね。
そしてその認識があるから「生きている」というのです。とスマナサーラ長老は仰っています。
渇愛は3種類あるようです。
①ものを欲しがる
②死にたくない気持ち
③破壊欲(競争する等)
今日は特に①について行為をした後でしたが、思ったことがありました。
⑴ふと「喉が渇いた」と思い自動販売機で飲み物を買うことにしました。
喉を潤すだけの行為ですが、自動販売機にはたくさん種類があってその中で、
小◯井のジュースがありまして、無意識のうちに「ぶどうジュースが飲みたい」と思い購入。
⑵いつも行く喫茶店。小腹が空いてマスター特製のハヤシライスを少ない量(お茶碗1杯もない)
いただきました。また、これも特製ベークドチーズケーキがあり注文しました。
大まかに例を挙げるとこのような感じでしたが、「喉がかわく」「◯◯が飲みたい、食べたい」
①番ですね。その場で気付けばよかったですが後から気づくのが残念ですが…
普段の食事は家の人が作ったものを何も考えずただ食べるだけ。外食時も1人ならシンプルなもの(サラダだけ等)を食べます。他人が食事に誘ってくれる時は他人に何を食べるか決めてもらいます。
そうして普段から欲しがらないよう気をつけていましたが今日は少しダメダメでした。
明日からまたしっかり自分を観察していきたいと思います。
実践し始めた頃…
昨日お話した仏教に出会ったきっかけである一定の時期は大乗仏教を学んでいました。
学ぶと言ってもきっとおさわり程度かなと。
高校生になるとやはり思春期ですので、とても彼女を欲しいと思います。
高校生になると時はいろんな女の子に声をかけたり、恋をして振られて…の繰り返し。
やっと高校3年の最後に彼女ができました。
それから4年間お付き合いをしてお別れしました。
そんな高校時代やはりたくさん悩んで、憂いて、怒って、泣いて。と
まだまだ無明でしたので楽しいというより苦しみの方が多かった記憶があります。
苦しい時は題目を唱えると楽になる。とか…坐禅をして心を落ち着ける。
有名なお寺に行って拝んでご利益をいただくとか…
それでも消えない苦しみ。
そんな時本屋さんで見かけた日常口語訳のダンマパダを買って読んで心がスッキリしました。
そしてテーラワーダ仏教に出会いました。
初めは恥ずかしながら、瞑想なんて坐禅と一緒と思っていた自分がいました。
しかし、やってみるとすごく落ち着ける。なんだこれ。
そこからいろいろとスマナサーラ長老の本を買って、読んでみました。
そして実際に日常生活で試してみると苦しくない。これだと思いました。
大乗仏教を学んでいる時から少し上座部仏教のこと、原始仏教のこと気になってはいました。
そして原点回帰ではないですが、今こうして実践して生活しています。
慈悲の瞑想は今まで短気だった私をガラッと変える強力な(過大かもしれません)瞑想だと思います。
最初はつっかかったところもありましたが本当に変わりました。
仏教に出会ったきっかけ②
中学、高校と自我が芽生え、反抗期になってくるとき。
私は反抗期なかったです。
元々、喧嘩や争い、競争が大の苦手でいつもからかわれたりしていました。
その度によく仏壇に向かって拝んでいました。
私自身8歳のときから、
「己こそ己のよるべ、己を起きて。誰に依るべぞ。よく調えし己こそ誠得難き依るべなり。」
「自ら悪を成せば自らは汚れ。自ら悪を成さないなら、自らは清い。清くも清くないのも各自のことである。他人によって清まることはできない。」
意訳ですが、ダンマパダ(法句経)の165番を唱えていました。何事も自分しか頼りにならないと。
しかし、意味がわかっていないので拝み続ける…
高校では他の宗派が気になって各宗派の勉強や美術館で開催される仏具や仏像の展覧会?によく行って勉強していました。しかしながら、悩みや苦しみはいくら拝んで祈っても消えませんでした。
仏教に出会ったきっかけ
こんにちは。
お釈迦様の教えを学んで、幸せに生きたいと思い、日々実践しています。
ブログをやるのは初めてのため、まずは私が仏教に出会ったきっかけを書きます。
私が物心ついた5歳の時。菩提寺のお坊様のマネからスタートしました。
その頃はまだ仏像やお経もわかっていないような時期です。
少ししてから私の祖母が河南省の嵩山少林寺、龍門石窟のビデオ映像を見せてくれて、そこから仏像に興味を示し、仏像が載った新聞記事の切り抜き、自分で絵を描いてみる。などしていました。
少し物がわかってきた小学3年の頃は般若心経を覚えたり、写経や南無阿弥陀仏と筆で書いたりしていました。同じ頃には食玩のおまけフィギュアで仏像のものがあって買っていました。
小学校高学年で行きたいところはない?ときかれて答えたのが京都奈良でした。
それほど小学生の時より仏教好きな変わり者でした。
(つづく…)
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