食事に関して③
釈尊の食事に対する教えはダンマパダやスッタニパータによく出てくる言葉からわかります。
仏典には…
「1日1食をとり、夜間に食べることを避け、定められた時間以外に食べることをやめます。」
ダンマパダの食事についての言葉を抜粋すると…
「食事の節度を知り」「食物についてその本性を知り」「食物をむさぼらず」
「食事に関して適当な量を知り」
「他人のくれた食物や飲料に満足しない人は昼も夜も心の安らぎを得ない」
「大食らいをして、眠りを好み、転げまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、大きな豚の様に糧を 食べて肥り、繰り返し母胎に入って迷いの生存を続ける。」
ダンマパダ:7番,8番,92番,93番,185番,249番,325番
釈尊は「量を知り」と言われる様に、多すぎても少なすぎても、
身体を害して修行の妨げになると忠告された様に感じます。
食べ物を貪り、大食らいするような旺盛な食欲は人間の本能かと思いますが、食事においては腹八分目ではないですが、量をきちっと軽くお腹が満たされたくらいで留めると良いかと思います。
食事だけでなく、衣服や薬、寝具などの生活必需品も分量をよく理解するようにと置き換えて考えることができます。
しかし、仏典にあるようなことを在家、世俗の私たちがしなくても良いですが、
貪らない、よく味わって食す。栄養バランスを考える。など
出来る限りしっかりしたバランスの取れた偏りのないメニューで最初から食事をしていけば、
病気もダイエットなどにも悩む必要がなくなりますね。
私は比丘が守る戒律(主に食事)を真似てみたら以外と快適に生活を送れることを経験して、
今は守れないところもありますが、生活を比丘が送るような生活をしています。
戒律は自分を縛り上げて苦しくなるものではなく、道徳に沿った生き方ができるように思います。
シンプルかつ過ごしやすい…と私個人は思います。
※興味がある方は試してみるのもアリかと…
食生活が変わると無駄な食べ物を買わなくなります。
大量買いをして余って捨てる…ということもあります。
生活が変わって自分の外側に目を向けてみると飢餓問題が出てきました。
そこで私の経験を交えながら食品が余ったり、食費が浮いたりした時にできることを紹介してみようと思います。
※仏典の抜粋:長部経典第四経種徳経、小の戒めより(春秋社 原始仏典第1巻、長部経典Ⅰ)
※ダンマパダの詩句一部抜粋:中村元先生訳 岩波文庫ブッダの真理のことより