利他行
こんばんは。幸いにお過ごしかと思います。
今回は「利他行」についてぼちぼち書いていこうかなと思います。
大乗仏教では、菩薩行として強調されていますが、
善行為は自分も他人も双方苦に陥りやすいものかなと思います。
それはなぜか?
・見返りを求める。
・〇〇してあげている。などの慢に変わりやすい。(自己満足)
など初めは喜捨で動いたとしても、常態化すれば、
「〇〇のために時間を使った」「感謝なんて当たり前」なんて言った自我意識が濃くなってくると
成したことの相応する何かを求めたり、服従では無いですが、偉そうにしたり…
と何かをしてあげるということは等価交換が成立するという概念?が一般的かと思います。
また、受ける側の人間にも
・甘え、期待感が出る。
・常態化によってもういい、嫌と言えなくなる。
このようなことが出てくるように思います。
双方初めは何も求めず関係を築いてきても、慣れてくると
して当たり前、見返りを得て当たり前になってくると苦しいです。また片方が上記の状態になっても一方的なので、争いは避けられないように思います。
見返りを求めることはないが、依存される。
もしくは依存はしないが見返りをすごく求める。などです。
これはどんな時でも起こりうることだと思います。
互いに思い通りにいかない、求不得苦の状態になると怒って争いになります。
それが一番現れやすいのは恋人や夫婦関係かと思います。
私の経験を踏まえながら次を書いていこうかと思います。